1月30日(金曜日) 「上野公園の炊き出し」 上野公園に行ってきました。 公園に着き、昼になると、 ものすごい行列が目に入りました。 一体、何百人の人がいるのだろう? 近づいてみると、 それは、炊き出しを待つホームレスの列なのだ ということが分かりました。 そこで、炊き出しの準備をする関係者の方に 話しかけてみることに。 「何人くらいの人が並んでいるんですか?」 「皆さん、上野の方ばかりですか?」 「数に余裕があれば 私も並んでみてもいいですか?」 etc・・ 私の質問攻めに、一つ一つ親切に答えて下さったのは、 ”日本イエス中心教会”の方々。 だいぶ余裕があるから食べて行ってください、 というお言葉に甘えて、 およそ700人が集まる、というその行列に 私も並ばせて頂くことになりました。 集まる人々は、上野の住人のみならず、新宿や池袋、 色々な所から来られるそうです。 あちらこちらと動き回ってお話を伺っているうちに、 気付けば2時。 私がもらった整理券は651番でした。 ![]() 少しすると、 牧師さんが登場し、伝道集会が始まりました。 お話を聞き、賛美歌を歌い、1時間が経過。 3時になると、少しずつ列が動き始め、 いよいよ炊き出しの時間です。 今日のメニューは、 ごはんに野菜とお汁がかかった丼物 (ゆで卵、豚肉の炒め物つき)。 いつもは、もっと沢山おかずが付くそうです。 食べ終えると、お皿と交換に お土産(米軍からの差し入れのジュースなど) がもらえます。 あっという間に食べ終えた皆さんが、 食器と引き換えに そのお土産を手にして去って行きます。 そんな中、 最後まで食器を空けられなかった私を見かねてか 「無理して全部食べなくてもいいですよ」 と教会の方が声をかけて下さいました。 ずいぶんと残してしまったにも関わらず、 お土産のジュースまで頂いてしまいました。 半年振りに行ってみた上野公園で 思いがけず遭遇した炊き出しの行列。 そこには 必死に生きようとする 大勢の人の姿がありました。 |
1月28日(水曜日) 「ホームレスの集まる教会」 インタビューページの第一回ゲストとして登場頂いた 山本さんに 半日、お供させて頂きました。 そして、午後5時頃〜、 いつも山本さんがいらっしゃる場所から移動し、 ”教会”に行くことに。(インタビューページ参照) 山本さんは、この教会で、 週に2回、ボランティアとして、 礼拝にくる人たちに「ハレルヤ」と声をかけ、 案内などをしています。 教会に着き、しばらくすると、 6時過ぎから除々に人が集まり、 7時を過ぎた頃には 席はほぼ満席の状態になりました。 驚くことに、ホームレスの人がその9割ほどを占めるのです。 そして、最終的には、 200人を超えるホームレスの方が集まりました。 ![]() 「200人ものホームレスが集まる教会」 なぜホームレスの人たちが、この教会に集まるようになった のか、聞いてみました。 山本さんと同じく、ホームレスであり、 この教会にボランティアとして通うSさん(60才)によると、 昨年の4月頃、20〜30人のホームレスの方が この教会に救いを求めて訪れたところ、 ごはんを食べさせてくれたのがきっかけとなり、 それが噂となったのだそうです。 そして、徐々に人が増え、今に至るとのこと。 山本さんやSさんのように、 ボランティアとして参加しているホームレスの方も 何人かいらっしゃいました。 皆が入りきると、夜8:30までは礼拝。 その後、給食があります。 もちろん、ご飯を食べたくてこの教会に集まるのでしょうが、 礼拝中の皆さんの顔を見ていると、なぜだか不思議と 心も安らいでいるようにさえ見えました。 最後に、山本さんは、 牧師ご夫妻の思いやりの深さには本当に感激している ということや、ここに通うことで、正しい信仰をもち、 過去の自分を脱却したい、と語って下さいました。 「ホームレスの集まる教会」 。 ここは、ホームレスの方々にとって、 ご飯を食べられるだけではなく、 心の救いも得られるところなのかもしれません。 |
1月22日(木曜日) 「ホームレスなんて・・・」 「ホームレスなんて、皆ただの怠け者でしょ」 これは、私の友人をはじめ、 身の周りの何人かから実際に発せられた言葉です。 この言葉が、時々私の頭の中でぐるぐると回っては、 しばし離れなくなります。 ”当事者と実際に接することもなく、なぜそこまで 断定的に物を言える人がこんなにも多いのだろうか” と 当初は腹立たしく思ったりもしたものですが、 今となっては、戸惑いを感じながらも、 冷静な気持ちで対応できるようになりました。 というのも、私自身、詳しくない分野の事を、 こんな風に発言していることはあるはず・・ そう思うからです。 (断っておきますと、↑のような発言をする私の友人や 周囲の人が、心無い人などとは思いません。) これが 多くの人の認識なのだと、受け止めるのみです。 何事にも通じることかもしれませんが、 自分の目や耳で確認していないことを、決め付けるのは とても危険なこと。 確認したつもりのことでさえ、 間違っていることだってあるのですから。 「ホームレスなんて・・」などという言葉が発せられる裏には その言葉を発した人たちが ”知らない”という事実があるからいけない。 知らないから、想像のみで発言をするのでしょう。 学校や会社に色んな人がいるのと同じように、 ホームレスにも色んな人がいます。 ホームレスになった背景にも様々な理由があるのです。 更に言うならば、 私が見ているホームレスの世界に、 「怠けている」というイメージはありません。 そのようなことについても、少しずつお伝えしていければ、 と思っています。 |
1月20日(火曜日) 「直接訪問」 連絡をとりたかった人(1/16の日記参考)に 直接会いに行ってみました。 この間教えてもらったその場所に会いに行ったのです。 会えないかもしれない、という不安もあったのですが、 久々に、やっとお会いすることができました! 少しだけ体調を崩されていたとのことですが、 元気とのこと。安心しました。 今日も沢山貴重なお話を聞かせて頂きました。 |
1月16日(金曜日) 「携帯電話」 どうしても連絡を取ってお話したい人がいるのですが、 ここのところ、なかなか会うことができません。 当然のことなのですが、 ホームレスの人の多くは携帯電話など持っていません。 いつもならココにくるはず、という場所にも姿あらず。 その人とよく顔を合わせるという人も、 ここのところ見かけない、とのこと。 そこで、その人の寝床を知っている、という支援者の人に 案内してもらって2駅ほど先のその場所に向かいました。 この時間はおそらくいないはず、と言われたとおり、 結局、その場所にも姿はなく・・・。 大丈夫かなあ。 勝手に心配しています。 体調が悪化しても救急車を呼ぶことさえできない、 10円も所持していない、 10円あっても公衆電話が近くにない、 周りに助けてもらえる人がいない、 そんな状態だって決して珍しくはないのです。 |
2004年1月4日(日曜日) 「無事」 支援団体のスタッフから "無事に越年が終わりました"とメールが入りました。 「無事に」=死者が出なかったということです。 うれしいニュースです。 |
2003年12月30日(火曜日) 「越年」 渋谷での「越年」の取材に行ってきました。 これは、この厳しい年末年始を乗り切るために 支援団体が主催する 渋谷区全体のホームレスのための取り組みです。 (12月28日〜1月4日) ![]() 炊き出し、 医療相談 などがあり、 今日は、およそ210人が集まりました。 夜9時半からは渋谷のパトロール。コース割りをして 路上の一人一人に声をかけて歩きます。 カイロやお茶を配り、 話を聞きながら時間をかけてまわるのです。 路上生活者にとって 冬は最も厳しく大変な季節。 年末年始は役所も休みに入るため、 支援団体はとても大きな役割を果たします。 ただ、この行事、公共の場所を利用して行われるので ホームレスではない人の立場に立てば、 迷惑に思う人がいるのも当然の現実です。 今日も 多くの方とお話させて頂くことができましたが、 話を聞くにつれ、 当事者と行政の間には大きな溝を感じるばかり。 皆が助け合い、うまく共存できれば、と願うのですが、 人の数だけ 違った価値観や考え方がある訳で・・。 自分とは違った価値観や立場の人の気持ちを 分かろうとすること自体、 とても難しいものなのだ、といつも考えさせられます。 暖冬、暖冬、とは言われていますが、 やはり夜〜朝にかけては、 日中の寒さとは比にならない寒さを感じます。 今日も、とても寒い一日でした。 この寒い季節を、どうか大事に至らぬよう 無事に乗り切れますように。 |
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